■五十嵐太郎 (建築評論家)
二日間かけて、100以上のファイルと添付された映像資料をチェックし、三度目のアーツ・チャレンジの審査が行われた。その方法は以下の通り。5名の審査員がそれぞれ最大で19票を投じ、まず3票以上を獲得した作品は合格とし、2票以下のものは討議を経て、個別に選ばれた。三回目となると、アーツ・チャレンジのアイデンティティも固まってくる。応募の集中した激戦区と、そうでない展示スペース、あるいは作品は良いけれど、場所の相性が悪いものなど、作品だけではなく、場所との関係性が大きな意味をもつ。今回も場所を変えて、選ばれた再チャレンジ組がいた。審査員の話し合いから、応募作の場所の変更を提案するケースもある。ともあれ、全体的な印象としては、回を重ねるごとに、応募作品のクオリティがあがっていることを強く感じた。アーツ・チャレンジを継続していることで、若手のアーティストに浸透し、認知されるようになったのではないか。
以下、興味をもった幾つかの作品に触れる。
高島亮三のNATIONAL DICEは、もともとサイコロ製造業者が日の丸をモチーフにして、赤の目が大きくなったことを踏まえ、サイコロで日の丸をつくるという強力なアイデアが気に入った。岸本真之も、造形に対する知的なアプローチが評価される。田中香菜は、ガラスの雨のインスタレーションを提案し、11階展望回廊との相性の良さから選ばれた。
荒木由香里と荒川美由喜は、独自の物語的な世界観を展開していた。前者は靴から広がる物語的なインスタレーション、後者は架空の女性が部屋のなかで想像した世界を提示する。和田典子は確かな画力をもち、寝室の絵を展示空間に具現化するというチャレンジを実際に見たい。東方悠平の「宇宙船いちごう」と柴田英里の首が上下した彫像は、ユーモラスな表現である。今回は、こうした笑いを誘うタイプの作品があまり残らなかった。宮永春香の白い編みもので形成されたFEITICOのシリーズ、植松琢磨によるキマイラの動物たち、加藤亮の床をおおうインスタレーションは、作品のクオリティの高さが特筆される。
建築系では、Smilo-fatのWONDERBOOKは、巧みなプレゼンテーションにより、ポップアップの絵本の空間に実際に入るプロジェクトを提案した。子供の夢を実現するかのようなアイデアを建築的な手腕によって実現して欲しい。伊藤孝紀は、ビニール傘と電話ボックスに注目し、会場の外に広がる街と関連づけた唯一のプロジェクトである。展覧会の期間中、実際にどのように展開していくのかを期待したい。
今回の審査で気になったのは、神のぞみである。美大や芸大で学び、プロ志向の強い応募者が増えるなかで、彼女のファイルからは、ちょっと違うスタイルで殴り込みをかけるようなインパクトを感じた。いわゆるテクニックではないところから、どうしようもなく立ち上がる個性というべきか。安定感のあるアーティストの王道ばかりでは、アーツ・チャレンジも固定化していく。だからこそ、彼女のような危険な香りのする作家も参加し、制度自体をかく乱することを期待した。
■市川政憲 (茨城県近代美術館長)
応募件数は、個人103件、グループ5件の計108件あり、前回より22件増加した。県外からの応募が大きく増加して70件あった。応募も減った第2回展は全体として低調の感があったが、今回は、件数もさることながら、プランで見た限りでは期待できそうに思う。
今回の展示予定スペースは、前回行われた陶磁資料館をはずして、芸術文化センター内に限られ、19箇所に増設された。すべてのスペースに応募があったが、選考では、場所ごとに採択せず、主催者側から示された最大限採択可能な15件を選んだ上で、希望される場所が重複する場合の調整を図った。ちなみに、5人の委員による選考では、満票1件、4票1件、3票7件の計9件をまず採択し、無票を除き、2票と1票のものから合議で6件を決定した。私見では、今回、15件をこえて採択できなかったことは残念があった。
選考の所見として、前2回とは異なる印象をもったことをひとつ述べておきたい。私が気づかなかったことかもしれないが、作家、作り手もまた「見ること」の中で「作ること」を行っているということ。今回、作る技術をもった人たちの参加が目立ったが、彼等の意識は、作品という見えるものの文脈から解放されて、「美術」という「見ること」の制度のなかで、「見ること」の積極的な意味、それをたとえばコミュニケーションの可能性として希求しているように見える。「芸術」が個々の「作品」のうちに完結的に存在するものではなくなり、「見ること」のうちに積極的な意味作用が希求されるミニマル・アート以後のひとつの状況として、今日、「芸術」はすでに環境となりつつ、親しく「アート」と呼ばれている。そこではややもすると、「芸術」という共同の幻想の環境化された「アート」を私的に享受する傾向も否めない。また、「見ること」の共同性が制度化された美術館という空間では、いまだに作品と作家の神話から脱け出せずにいる。そうしたなかで、このアーツ・チャレンジの方向性が少しは、見えてきたように思えた。
■加藤義夫 (インディペンデント・キュレーター)
昨年に引き続き「アーツ・チャレンジ2009」の審査委員を担当した。
前年より応募者数も増え、本事業に関する作家達の関心と注目度が高まっていることを実感した。海外からの応募もあり、本事業も国際的な広がりを持つようになってきたようだ。
今回は企画案に工夫も感じられるものが多く、応募者のレベルも高くなっている。そのためか一日目の審査では審査委員の評が分散したが、二日目の本審査では、審査委員全体のディスカッションにより15名の作家を決定した。
唯一、審査委員の満場一致で選ばれたのが、栗本真壱が率いるユニットsmilo-fat(スマイロ-ファット)の「Wonder Book」。人が中に入ることのできるポッアップ絵本で、観る者を絵本の世界へいざなう装置だ。一枚一枚ページをめくることで絵本の空間を体験できるもの。模型のスケールから察すると、高さ2.5m×長さ5m×奥行き2mほどか。比較的、建築系の作家は、美術系の作家よりプレゼンテーションが巧みである。模型を使った写真資料のプレゼンテーションが、わかりやすく説得力を持った。
私的には、高島亮三のサイコロを並べて創る床置きの「National●Dice」が気になった。高島の記述によると「1926年、和歌山県のサイコロ製造業者が日の丸をモチーフに、一つ目だけを大きめの赤丸にして販売、これが日本人の心をゲット。」このサイコロ約42000個を使って日章旗を創るものであるが、仕上がりはぼんやりとした日の丸となるらしい。この視覚的効果が、日本人のファジーな精神とあいまって国家のイメージを浮き彫りにするところが興味深い作品となっている。コンセプトと視覚表現が密接に関係し、愛すべき日の丸に仕上がっているところを高く評価したい。
サイトスペシフィクという場所性を上手く使って企画案を提出していたのが、愛知芸術文化センターの11階のガラス張りの回廊を使ったインスタレーション。米国在住の田中香菜は、空や風景の見渡せる回廊に雨を降らすプランだ。ガラス棒を熱で溶かして先端を雨滴のように加工し、何百という雨滴を回廊に降らす試み。そのインスタレーションは、太陽光に照らし出され、きっと美しい風景を回廊に展開してくれるだろうと期待される。
絵画で私を魅了したのが青木豊。幾何学的でシンボリックな風景や人物とブラッシュ・ストロークを重ね合わせ、斬新な絵画空間を創造していた。
■宮村周子 (編集者・美術ライター)
三回目を迎え、アート・コンペとしての認知度が上がってきたためだろう、前回よりもエントリー数が増え、ヴァラエティに富む表現が集まった。このコンペが、通常は展示に使用しないパブリック空間を含む、多種多様なスペースでの発表を前提としていることから、選考にあたっては、表現の新しさだけでなく、展示プランの具体性がより重視された。ホワイトキューブに作品が一様に並べられるわけではないので、少しクセのある場所でも面白く主張する作品をと、選ぶ側としては展覧会の盛り上がりをどうしても優先してしまう。また、人気の集中する場所の選考では、そのぶん惜しい落選者が多く出る。将来性のある若手の発掘を目的としながらも、それなりの展示技量や全体のバランスを求めざるをえないのが、アーツ・チャレンジ選考の悩ましいところであり、また他とは違うオリジナリティなのだと改めて思った。
全体を通じて印象的だったのは、女性アーティストのパワーだ。ストライプ模様で力強い絵を描く和田典子や、少女マンガの世界観を漂わすテラコッタ彫刻が魅力の柴田英里、原初的な強さを放つ金魚の絵が圧倒的な神のぞみら、あっけらかんと突き抜けた彼女たちの実作を早く観たい。
絵画表現に気になるアーティストが多かったのも、今回の特徴のひとつ。落選はしたものの、心惹かれる作品との出会いはたくさんあった。新幹線ホームのピックアップ音を吹き抜けに流すプランや、建物全体が胎動するかのように展示ケースに有機的盛り上がりをつくる斬新な発想など、選外ながら忘れがたかったプランも数多い。 極私的には、通りすがりの人の目に触れやすい企画なだけに、笑いを誘う作品がもう少しあったらよかったかな、とも思う。体験型の大作も顔を揃えた今回、多くの観客を思いがけず刺激する作品の実現に期待したい。
■山本さつき (美術批評家)
ある意味「荒れた」選考会だったのではなかろうか。審査員同士で大揉めしたという話ではなく、次点の繰り上げや展示場所の移動など、イレギュラーな要素が極めて多かったということだ。
場所を指定しての展示プランが審査対象となるこのコンペでは、過去の作品はあくまでも参考に留まる。そのために、既作に力は認められるものの、提出プラン自体に難があるということから一次審査を通過できなかった例が多く見られた。とくに場の選択に疑問を感じるプランはかなりあり、第一回講評で五十嵐氏が述べられた「自分の作品をどこにどのようなかたち見せるのかを戦略的に考えている作家が残りやすい」という点
が如実であったように思う。その意味では、実際に場所を吟味することが困難である遠隔地の応募者には明らかに不利であるし、予定スペースの多くがパブリックな場であることも加わり、ごく普通に彫刻や絵画作品を展示しようとする応募者にとってはなかなかに難しい条件がある。その意味では、今回、予定スペースとして、8階ギャラリースペースのような、変形とはいえごく一般的な展示室が加わった意義は大きいだろう。
このようなプランの縛り、場の縛りの一方で、応募者個々の指定場所においては次点であったプランが、場所を移せば花開く、あるいは場所を移動しても差し支えないという判断から、一次通過者がいないスペースなどに繰り上げ入選となるケース、あるいは一次通過者同士でスペースの交換を提案するケースがいくつかあった。場を指定しての企画応募というアーツ・チャレンジの特色から言えば、いささかルール違反と言えなくもないが、個人的には、今後の審査の在り方の可能性を拡げた「よい」違反だと考えている。
実のところ、この選考会では、一次審査で満票を得た応募者は1名のみ、次点の4票得票者も1名で、かなり票がばらけたのである。一次審査で充分な得票が得られなかったプランが、審査員が顔を突き合わせての対話からなる二次審査でいきなり返り咲くというケースもあったのだが、これについては、場の指定という部分にいくらかの弛みを与えて考えることができた結果でもあろうし、二次の段階で、各審査員が自身の評価眼を頼りにここぞと押していった結果でもあろう。「戦略」の巧みさは作家の能力のひとつではあるが、そのような「発表・展示」の部分を差し置いて、作家のポテンシャルをはかる重要性も強く感じた。逆説的ではあるが、制作・展示にキュレイターがつくこのコンペだからこそ、可能性の部分に眼を向けることができる。単に「発見」に終わらず、その次までを見据える試みが、アーティストの「輩出」には必要だと思われる。 |